私たちの記憶は、とてもあいまいです。たくさんの錯覚をしています。
私の中の記憶では、子供時代、父からとても厳しく怒られ、かわいそうな私でした。しかし、心の勉強をしてから、厳しく何度も怒られた、ということは、よほどいうことを聞かない私であり、そんな強情な私を、見捨てることなく、真剣に向き合ってくれていた父だ・・・・ということに気付いたのです。
しかし、昨日叔母は、私にこう言いました。
「倫子ちゃんは、ほんとにお父さんにかわいがられたよね~。倫子ちゃんだけに、異常なくらいに愛情注いでいたよね。かわいくてかわいくて、とても大事にしていたもんね~。よく、あんなに不公平なくらいに、弟と差をつけてかわいがっていて、弟くんがぐれなかったよね~」って。
私が、かわいがられた記憶があんまりないんですよ~って答えたら、叔母は、「そんなわけないでしょう。覚えているはずよ。あんなにかわいがられたんだから」って。
横から母までも、「ほら、おばちゃんまでも知っていたのよ。あんたは、ほんとにかわいがられたよ」
なんて言ってきました。
私は、ちょっと疑いたい気持ちがありながらも、よ~く記憶をたどっていくと、父の膝の上に座った心地よさや、弟が何かあると「ねえちゃんから頼んでよ。俺がいうとだめやもん」って、言ってたな~って。
どうやら、私は、とてもかわいがられていたようです。
なのに、なぜ、怒られていたかわいそうな私・・・という記憶になっているのでしょう・・・。
人間は、当たり前は記憶に残らないんですよね。
当たり前は、感情が動かないから。
かわいがられて、ちやほやされていたから、怒られたときに、「ひどい!なんで怒るの!
なんてひどいの!私を怒るなんて許せない!だいきらい」・・・・・・・・そんな思いが、
だんだんと「怒るおとうさんは、怖い。私は怒られた。私は被害者」
って、自分を正当化していいったのでしょう。
いつもにないことだから、感情が揺さぶられ、しかも、頭の中で繰り返すために、さも、いつも怒られていたかわいそうな私・・・・・・・という記憶になってしまったのでしょうね。
あ~・・・・・なんていい加減な記憶なんでしょう。
しっかりと、父の愛情を受け止めて、父とこれから向き合っていきます。
なんだか、心が、きゅーんとあったかくなってきます。ありがとう・・・・そんな気持ちが広がります。
記憶はいい加減です。
思い込みは損ですね。
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